もち米の里 ふうれん特産館

株式会社もち米の里ふうれん特産館の挑戦は、平成元年、もち米生産農家7戸により始まりました。創業当時、北海道上川郡風連町では、いち早く「もち米団地」を形成し、全国でも有数のもち米生産地となっていましたが、北海道のもち米は「安かろう悪かろう」との評価が一般的でした。「自ら生産するもち米に付加価値を」「冬期間の出稼ぎからの脱却」「雇用の創出」を目指し、JA風連所有の旧家畜診療所跡を改造し、スタートしました。

ふうれん特産館_生産者

もち米生産日本一・北海道名寄市

北海道の北に位置する名寄市は、もち米作りが盛んで、市内の水田のおよそ9割がもち米という、日本有数のもち米生産地です。作付面積は約3,000ヘクタール、札幌ドーム約549個分、もち米生産量が全体に占める割合は、なんと北海道で3分の1、全国でも約10分の1を誇ります。名寄市では、冷害に強いという理由から昭和45年にもち米栽培が始まりました。栽培に着手した当初から生産組合を立ち上げ、栽培技術を確立するだけでなく、いち早く生産団地化をすることで、より高品質な栽培に取組んできました。

収穫前の水田
北海道地図

また、名寄市は盆地特有の気候条件である昼夜の寒暖差があることにより、病害虫の発生が少なく、クリーンな栽培が行われている安心・安全なもち米の生産地なのです。

そんな名寄で生産されるもち米は、やわらかく硬くなりにくいという特徴から、伊勢名物「赤福」をはじめ、和菓子、おこわなど様々な商品に使われています。

もち米団地による徹底した管理

名寄地区・風連地区ともにもち米農家は、うるち米を作らずにもち米に限定して栽培する「もち米生産団地」を形成しています。もち米に限定して栽培する理由は、本来、もち米は野生では存在せず、人の手によってうるち米を改良した品種であること、もち米は劣性遺伝のため、うるち米の花粉がついただけですぐにうるち米になること、うるち米が混入してしまうと、もち米の特徴である粘りが弱くなり、品質が落ちてしまうため、広域にわたってもち米に特化した栽培をすることで、うるち米の混入のない上質なもち米ができあがるからです。

収穫前の稲穂

もち米の里 ふうれん特産館History

設立当初は本当に厳しい条件下での運営でした。餅つき機を購入するために訪れた機械メーカーでは、儲からないからと強く反対され、今ならおにぎりの製造機械をと勧められる始末です。しかし、諦めることはしませんでした。もち米加工品つくりについては、全員が素人で失敗の毎日です。その中で少しずつ商品やパッケージ等を改良して、「切りもち」ギフトが完成しました。パッケージについては、札幌市在住の貼り絵画家、藤倉英幸先生にご協力いただき、現在もそのデザインを大切に守っています。

田舎もちパッケージ

田舎もち「雪の里」のパッケージ

作業風景

平成8年、農業者と外食産業者とのマッチングや農業の勉強会等を主催する「北海道農業者サロン」の会合に参加したことがきっかけで、会合に参加していた企業との間で「おもち」を使った新商品が作れないかとの話になりました。使用するもち米は、除草剤以外の農薬は一切使用せず、減化学肥料にて栽培したこだわりのもので、できあがった商品は、現在でも続くロングヒット商品となりました。

平成11年、当時、大手コンビニエンスストアのおでん餅巾着には中国産のお餅が使われていましたが、国産のものに切り替えるとの話があり、札幌の食品会社からお声掛けいただきました。採用に当たっては、東京の大手コンビニエンスストアリテール本社まで出向き、プレゼンテーションを行い、製造技術やお餅の良さをアピールするなどし、商品の採用が決定しました。おいしさだけでなく、もち米や商品についての“想い”が届いた瞬間です。現在でも北海道では全て「もち米の里ふうれん特産館」が製造するもちが使用されています。

人気商品「ソフト大福」の誕生

大福開発以前、「切りもち」ギフトの製造・販売は冬期年末に集中し、夏期は需要が少ないため、従業員の通年雇用には難しい部分がありました。そこで、通年でも一定の需要が見込める「大福もち」の製品開発に乗り出し、縁あって札幌の洋菓子製造メーカーと共同開発することとなりました。使用するもち米は、名寄で生産されるもち米の約5割を占める「はくちょうもち」で、最大の特徴である柔らかさを活かしつつ、製造後すぐに急速冷凍することで、できたてのおいしさをそのままお届けできる「ソフト大福」が誕生しました(平成14 年)。豊富なバリエーションも人気の秘密で、現在では「切りもち」ギフトを凌ぐほどです。

ソフト大福

平成20年、レストラン併設の店舗・工場・事務所棟と隣接する場所に、道の駅「もち米の里☆なよろ」が建設され、「もち米の里ふうれん特産館」がその業務を受託することとなりました。隣接する売店・レストランを道の駅に移転し、地元特産品や農産物の販売、様々な顧客サービスにも積極的に取り組んでいます。

収穫風景


創業から長い年月が経ちましたが、設立当初から変わらず続けてきたもち米作り。もち米作りについては、今でも毎日が施行錯誤です。「はくちょうもち」や「名寄」の良さをもっと多くの方に伝えたい。原点である「もち米生産者」であり続けること・地域に対しての想い・感謝を忘れず、挑戦を続けています。